ひとり言

何もしないを考える

今日は何もしない!と決めたところで、何かをしているはず。

自分自身にとって煩わしい何かをしないと決めただけで、やりたいことやりたかったことをしているのだと思う。

何もしないで寝ると決めたとしても、それは自分が疲れている、体が欲しているから寝ると選択しているからで、「疲れを取る」という行動を起こしていることにならない?

 

なら、「何もしない」って案外難しいことだねと、無意味なことを考えたりしていたわけだけど、「何もしないとは何」という答えは出てこない。

答えが必要かといわれたら、必要ないんだけどさ。

 

若い頃にもっと勉強しておけばと思うのは、それまでに何もしてこなかった弊害なのだろう。

だから、記憶に残らなかった日を、何もしなかった日として定義していいのかなと思ったりしたけど、筋トレなど習慣化した積み重ねも自然とこなしていたなら「何もしない」うちに入ってしまうことにならないだろうか。

 

今日書いたこの話は、無意味な「何もしなかった」ことか、毎日書いている積み重ねの1つなのかを考えると、どちらかと言えば無意味だったような気がする。

「何もしない」より「何かする」を考えたほうが自身のためになりそうだ。

では、また次回。