ひとり言

飼い猫の思い出と「エンジェルタイム」とは何?

私が中学に上がるくらいまで、猫を飼っていました。

メスの猫で名前は、美しい尻尾で美尾(ミオ)といいます。(私は最近までミヨだと思っていました)

実際、しっぽが美しかったかどうかは覚えていません。普通の雑種の猫だったと思います。

 

姉が拾って、姉と祖母で面倒をみていたので、私の中では飼っていたというよりは同居していた感覚に近い。

私が生まれる前から家に住んでいた、大先輩です。

 

可愛がっていたというよりは……

大先輩でしたが、私がかなりクソガキだったせいで扱いがかなり手荒だったと思います。

シャーッ!!とブチ切れられたり、噛まれたり、ひっかかれたりしてました。

過去に戻れるなら、そのクソガキを蹴っ飛ばして猫をもっと大事にしやがれといってやりたいくらいです。

 

私の幼さを見抜く猫

ある時、年の功か、先輩の余裕なのか、コウモリやネズミをくわえてもってきたことが何度かあります。

 

ただの「おみやげ」や「プレゼント」というわけではないらしく調べてみると、私を「自分で狩りのできないダメなヤツ」だと思って、

  • 心配で獲物を分け与えてくれる
  • 弱ったエサ使って狩りを教えてやろうという親心

などといった理由もあるのだそうです。

 

内弁慶で家では吠えるだけの何もできないクソガキであることを、ちゃんと見抜いてるわけです。さすが年上。

当時はこのコウモリをどうしようかと困った覚えがあります。こうして理由がわかると、猫に心配されてたんだなと苦笑い。

 

猫を飼うならではのトラブルは当然あった

他に記憶が残っている話は、建て替えて新築した家にお気に入りの窓枠があって、いつも枠の木で爪を研いでボロボロにしていました。

何十年も前のことだけど、爪とぎ防止シートや爪とぎタワーなんて気の利いたやつ当時あったかな……?

 

祖母の部屋で、ノミが大量発生したこともありました。

ノミを毎日20匹くらい見つけてはつぶしていたと思います。

今は笑える思い出ですけど、その時は必死につぶしてました。

 

長生きしたけどさすがに寿命

姉が嫁ぎ、晩年は祖母と私が面倒を見るようになりました。

祖母の話を聞く限り、家にきて20年は生きていたそうです。

 

老いからか下半身がいうことをきかなくなりました。後ろ足を引きずり廊下を滑るように移動したり、踏ん張りが効かず階段から転げ落ちたこともあります。

トイレの場所がわからないのか(もしくはたどり着けなかったのか)全然違うところで粗相をしてしまったり、食べても吐く回数も増えたりと弱っていく様子は見てとれました。

 

20年も生きたしそろそろなのかなぁとなんとなく察しはじめたあたりで、ある日学校から帰るとミオの姿が見当たりません。

祖母に聞くと「ごはんをいつも以上に食べた後に、ニャーとひと声あげて外へ出ていってそれっきり帰ってこない」と答えました。

 

「猫は死ぬ姿を人に見せない」とか「猫は死ぬ前に姿を消す」といった言葉を耳にしたことがあります。

習性としてそういうものかと知っていたので、「死別した」というよりは「いなくなった」や「旅立った」という感覚のほうが強いです。

20年も生きたし、化けたか猫又になったりしてどこかで生きているだろうと、今でもたまに思ったりします。

 

エンジェルタイムという言葉を知る

 

NEWSポストセブン

 

“猫は死期が近づくと姿を消す”といわれる。なぜそのような行動をとるのか真相は解明されていないが、動物は具合が悪くなると、安心して休めるよう、敵に襲われない安全な場所に身を隠す習性があるという。体力を回復させようと隠れたものの、そのまま死んでしまう場合もあり、それらの行動が飼い主からすると、自分の最期を予感して姿を消したように感じてしまうようだ。

「死に場所を求めて姿を消すのではなく、あくまで回復のために身を隠すだけ。むしろ猫は自分の死期を悟ると、飼い主にいつも以上に甘えたり、最後の力を振り絞って元気な姿を見せるなどの行動をとることが多いんです」

とは、往診専門動物病院「わんにゃん保健室」の院長・江本宏平さんだ。その意図は、死期を悟った猫が飼い主に対し、感謝の気持ちを示しているのではないかという。

「私はこの飼い主と愛猫の最期の時間を“エンジェルタイム”と呼んでいます。天国へ旅立つ前の大切な時間です」

 

旅立つ間際の祖母とのやり取りは「エンジェルタイム」と呼ばれるものだったと思います。

最後まで世話してくれた祖母にひと鳴き「ありがとう」と「さよなら」を伝えて去ったんだと納得したわけです。

 

「ごはんをいつも以上に食べた後、ニャーと大きくひと声あげて出ていって、それっきり」

祖母の言葉が今でも頭に残っていて、最近は涙腺が緩くなり思い出すたびに目頭が熱くなります。

 

猫の映像を見たりするとまた飼いたいと思うのですが、自分や両親のことで精一杯なので責任をもって飼えるイメージが湧きません。

幼少期の残念な扱いのこともあり、今度は100%全力で大事にしないといけないので、余裕を持てないとペットなんてとても無理です。

先のことはわからないけど、いつか飼えたらいいかなで留めておきます。

 

余談

偶然ですけどトイレ掃除をしようとトイレに入った時、便座カバーがコレに変わっていました。

 

 

これを見てミオのことを思い出したわけではないですが、ブログを書きながら少し泣きそうになったのをごまかしているのは否定しません。

では、また次回。