ひとり言

イライラの境界線を探る

周囲に几帳面といわれることがあるけど、私自身はそうは思っておらず他人が関わることに対して臆病で神経質なだけだと思っています。簡単にいうと、悪く思われたくないからちゃんとしようってだけ。

自分だけに関することは杜撰だし甘いし、部屋は昔よりましになったけど部屋は散らかっているし、思われている印象とは違うんだけどなといつも思う。謙遜ではなく。

 

几帳面さでいうなら親父が上だろう。最近でいえば家の前の雪かきをして、もう自然に溶けるだろうと思って残した端の部分を、気になったのかわざわざ取り除いていた。

どうせ溶けるんだから自ら疲れにいかなくてもと思うこともあれば、埃を人差し指でなぞって見せつけてくる姑のような嫌らしさを感じることもある。そこで私は「はいはい、そこまでやらないとダメなんですね」と勝手に思い込むので、なんちゃって几帳面が構築されていくのだろう。肯定的にいえば学びを得ているともいうが。

 

そんな男どもと比べると、母は一般的な(?)大雑把さがある。原因と結果を気にせずに起こることに目を向けがちというか。

例えば単行本を貸したとして、巻数の順番がバラバラで戻ってくるくらいの出来事はよくあります。

おおらかな人は気にしないかもしれない。私は割と気になる。

 

それくらいのこといいじゃない(または何も考えていない)と、それくらいしてくれよがせめぎ合うわけです。

几帳面というよりは、神経質さを押し付けているかもしれない。私は他人の迷惑にならないように気を使っている(つもり)のに、何も考えてないの?って。

やっぱり人それぞれだし、私の機嫌が悪いのかもしれないとか、何にイラッとしたかをひと呼吸入れながら考え、器を大きく構えていきたいものです。

 

対象が誰かで度合いが変わったりしますね。子どもなら全然イラつかないのに、大人だといい歳してなぜと思ってしまいがち。

では、また次回。