ひとり言

家族で笑点の大喜利を見ながら気づいた、少し怖い話

両親は17時には夕食を食べ始めていて、晩酌もしています。

なので、私が仕事から帰る頃には母親がだいぶ出来上がっている状態です。

 

日曜日は笑点を見ていて、私が食卓に着く時は、それはもうゲラゲラ笑っています。

私は笑点とは笑いのツボが違うのか、面白いとは感じません。

横でなんでもかんでも笑う人がいるせいか、上手い答えだなーとか、その言葉をかけてるのね、など冷静に見てしまっているからでしょう。

 

母は大喜利を見ながら、ほとんどの答えに対して笑っています。

少し意味がわからなかったものは、「?」となって笑わないこともたまにはあるけど、基本的に笑っているのです……が、ふと気づいてしまったのです。

 

 

三平さんの答えの時だけ、笑い声が聞こえないような……

 

 

気のせいだろうか、気のせいであって欲しい。

さっきまであんなに笑っていたのに、一瞬止まったような感じに静まるんです。

えっ?ってなりますよ、何も悪いところなかったよねと。

 

三平さんに関しては、私個人として正直にいえば面白いとは思わないけど、つまらないとも思っていません。

「嵐」と「からし」をかけたのだろうとか、いろいろと上手く考えて答えを出していると思うのですが……。

そう淡々と思わせることが既に、考えて上手い返しをしようとしているんだなと、透けて見えてしまってそれが面白く感じないのかも。

私にとっては、笑点自体が合わないので皆さま似たり寄ったりですけど、三平さんだけ微妙なイメージがついてしまっているのか、少し不憫に思えます。

 

ずっと笑っていたのに、一瞬スッと静まると気になります。

きっとたまたまですよね!

続報は、明確に笑ってないと思ったら、母の三平さんに対する笑いの打率を調べてまとめるかもしれません。

これからは三平さんの答えの瞬間、反応を観察するという楽しみ(?)ができました。

では、また次回。

 

翌週、気になって観察してしまいました。

母は三平さんに厳しいのか観察してみた先週、もしかしたらそうかもなんていってしまったがために、待ち遠しかった笑点。 ご飯を食べながら、じっくりと母を観察しました。 ...