無茶苦茶な指示が飛んできたり、理不尽な扱いをされたりして「頭、昭和かよ」なんて愚痴ったりすることはよくあるけど、「平成的」とは言わないし耳にしません。
まだ令和2年だし、「平成的」を思うのは時期尚早なのかな?
あ、私は昭和生まれですけどね。
よく昭和的な考えが持ち出されるというのは、成長していた時代のイメージがあるからかもしれない。
このやり方で国を支え、盛り上げてきたんだといわんばかりに。
もちろん今でも通用したり、参考になる考え方は当然あります。
一方で平成は、平成元年から平成2年(1990年)くらいがバブルの最盛期で、それからすぐにバブルが崩壊します。
「失われた10年」や「失われた20年」と呼ばれるようになるくらいの長い低成長時代。
令和になり、実は「失われた30年」だったのではと、平成という30年をネガティブにまとめる人もいるでしょう。
昭和と平成、成長と低迷のイメージ差があるから、未だに昭和的な考えみたいな話をずっと耳にするのだろうか。
心のどこかで、昭和的な考えが成果に繋がることをわかっている、認めているのかもしれない。
頭ではわかっていても、従う人は減っていると思うけど。(ブラック企業で強制されてるならまだしも)
根性で量をこなせば、そりゃ成果はでる可能性は高いでしょ。
成功体験を無理やり押し付けられてるような感じ。
そんな風に考えると「平成的な考え」ってなんだろう。
昭和の否定?でも全否定するわけでもないし。
令和の時代が進むと、もしかしたら「平成的な考えだな」とか言われることがくるのだろうか。
おそらく悲観的な意味だろうなー。
もう「昭和的」「平成的」を考えること自体がナンセンス、つまり意味のないことになっていくでしょう。
肯定的な考えであれば、時代なんて関係ないはず。
「昭和的な」と呼ばれない昭和的な考えもあるだろうし、そこに「平成的な」をわざわざ考える必要はないのだろう。
頭を洗いながら考えていたけど、何いってるのかさっぱりわかんないや。
では、また次回。