ひとり言

「生きた心地」が「する」でもいいか

「生きた心地が(も)しない」という慣用句があって、恐ろしさで生きている感じがしない(デジタル大辞泉より)という意味だけど、母は使いどころがちょっと変です。

 

母を車に乗せて移動している際に、コンビニに立ち寄ってコーヒーを買って飲みます。

私を運転手にして暑いときに飲むアイスコーヒーは格別なようで、「あ”~生きた心地(がする)」とよく言うんです。

柔軟性がやや足りない私は、使い方がおかしいだろうと心の中でモヤモヤするわけだけど、暑い日に冷たいものを飲んで生き返る感覚、おいしいものを飲んで生きている実感を得ているということなので、「生きた心地がする」でもそこまで変ではないのかと思い直しました。

 

生きることは、日常のことだし、当たり前すぎて無意識なものです。普段の生活にある「生きている感覚」をさりげなく表現するのに、「生きた心地がする」というのはアリなのではないだろうか。

生きた心地もしない出来事が目に付いてしまう世の中だけど、普段の生きた心地がする出来事にももっと意識を向けていきたい。

 

というわけで、「生きた心地がしない」が正しい使い方じゃないの?とツッコむのは野暮な感じがしたので、止めておきました。

では、また次回。