ひとり言

荒ぶるほど逆効果

親父にめちゃくちゃキレられまして、久々だなと思って遡ると約1年ぶりらしい。

親父は声が出ないので、どうしてもコミュニケーションに齟齬が出る場合があります。そこで苛立ち、怒り、荒ぶったところで、伝わるどころかこじれてしまい訳が分からなくなるわけです。

 

内容をざっくり言うと、続ける or 終わるの話で、私は続けると勘違いしていたけど実はもう終わりだったという話なのに、伝わっていないことに引くくらいキレてきます。

売り言葉に買い言葉で「わかんねーから紙に書けやボケ」と口から出かかったけど、高血圧の人が激昂してぶっ倒れてしまうみたいな荒れ具合。声が出ず表情と仕草だけということもあり、どんなに怒ろうが1ミリも伝わらないのに……と、見ていて逆に冷静になってしまいました。

 

わざわざ文章にしなくても、「終わる・片づけ」と単語を書くだけで全然違います。些細なことだからいちいち紙に書くのが面倒くさいのでしょうが、些細なことだからこそ確実に伝えるべきなんだけど、やっぱり面倒が勝るのでしょう。

家族なら何でも察せる、察しろと思って甘えてるのではないか、怒り狂った自分を客観視してみれば、その怒りは何の意味もなくお互いに不快感が残るだけってわからないかな、わからないからちょっとのことで怒るのだろうけど。

 

器具を喉に当てて発声する練習もしなくなったし、よっぽどじゃないと紙に書くことはしないし、高齢で今までする必要のないことをしなければならないのは、思っている以上に辛いことなのかもしれない。

私と母は、なるべく察する・察しようと努め過ぎていたのでしょうか。書かなくても何とかなると思わせてしまっているのかもしれません。

 

書かないとわかんねーよ?とライトに言ったほうが、書くことへの抵抗が減っていくのだろうか。

うーん、すぐ導火線に火がつきそうでやっぱり怖いわ。

では、また次回。