ひとり言

運転は川の流れのように

10年くらい前から、両親(特に母)を送迎する機会が多くなったので、そのころから運転の上手さのようなものを気にし始めたのだと思います。

アクセル・ブレーキのペダルワークや、スムーズなコーナリングなどでしょうか。

 

20代は、手に入れた大きなチカラに酔いしれ、スピードを出し過ぎたり余計な追い抜きをしたり独りよがりの運転をしていました。

目的地に何十分も早く到着するわけでもないし、リスクを取るほどのメリットが無いと悟ってからは、次第に運転が落ち着いてきたのではないでしょうか。

 

親父は手足・認知状態は良好で運転は一応できますが、病み上がりだし長時間の運転は疲れてしまうということで、私の休みと合う日は病院に送迎をしなければなりません。

母の前ではヴィジュアル系CDを流すことに抵抗はなかったのに、親父が一緒のときは……ちょっと無理、いやちょっとどころじゃなく無理!

となると片道40分、別の気の紛らわし方や楽しみ方を見つけないと、車内の雰囲気が固いし私が運転に飽きてしまいます。

 

綜合病院までは2車線の国道1本道なので、いかに車の流れに乗り続けるかを気にして運転するようにしました。

川の流れるようにというか、血流のような、周囲の車の流れに合わせた感覚で走ると、なんだか気持ちいいんです。

適度な車間を空け、アクセルワークのみで余計な減速をしない、信号で停止するときは止まる直前にブレーキをスッと抜いてカックンとならないなどして、後部座席に座っている両親に快適な乗り心地を贈れればということを自身の楽しみにするようにしました。

 

親父が一緒のときはより運転に気を使うようになったのですが、思っていたような挙動にならず案外難しいものです。

ブレーキは少しずつ上手くなってきている感じはするけど、スムーズな加速ってどうするのだろう、踏む時は踏む?それだと頭が後ろに持っていかれたりしないかな。なんて考えながら安全運転を心がけています。

 

目線を遠くし、視野を広げることが流れに乗るうえで大事なので、周囲の車をよく観察しますが、車間が狭くてブレーキランプをパカパカ何度も光らせている車や、昔の自分を思い出すかのような追い抜きをを見かけると、少し目につくようになりました。

マナーを強要するものではないけど、トラブルが起きないよう祈っております。

では、また次回。